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抽象主義とダダ、シュルレアリスム

ロシア・アヴァンギャルドを代表する画家カジミール・マレーヴィッチ(1878-1935)は、1915年にペテルブルグで開かれた「0.10最後の未来派絵画展」で、白地に黒い正方形、円形、十字形などの幾何学的形態だけを描いた作品約40点を発表し、これらを「シュプレマティズム(至高主義)絵画」と名づけました。目に見える自然の表象を描くことを一切否定し、質量や動き、宇宙エネルギーといった抽象的で目に見えない対象を表現する絵画理論を掲げたマレーヴィッチとその門下生らの活動は、革命直後のロシア国内に大きな影響力を持つようになります。DIC川村記念美術館の《シュプレマティズム》はロシア革命と同年の作ですが、画面上部に消失点を据えた単純でダイナミックな形態は、画面上で絶妙なバランスを保ちながら現在も謎めいた魅力を放ち続けています。シュプレマティズム運動はスターリン主導となったロシア共産党に批判され、実質的に短命で終わりましたが、マレーヴィッチが遺した抽象絵画理念は、20世紀の絵画に計り知れない影響を与えました。


カジミール・マレーヴィッチ 《シュプレマティズム》 1917年 油彩、カンヴァス 65.6 x 48.2cm

第一次世界大戦はヨーロッパ全土を戦火に巻き込み、人々を虚無と絶望に陥れました。そのような時代を背景に誕生したダダイスムの運動は、既成の価値観を破壊し、「無意味」や「偶然」を取り入れた造形表現によってヨーロッパ社会に新風を送り込みました。ジャン・アルプ(1886-1966)はこのダダイスムの運動に参加し、さらにパリに本拠地を移してシュルレアリスム運動にも関わりました。アルプはいくつかの紙片を空中に放り投げ、それらが床やテーブルに着地した偶然の配置を生かして画面にコラージュする作品などを手がけましたが、1930年代には有機的形態のブロンズ彫刻に本格的に取り組みます。《臍の上の二つの思想》は、人間の「へそ」と思しきドーナツ状の形態の上をナメクジのような物体が這い回っているように配置されています。人体の一部と下等動物らしきものを組み合わせたユーモラスな作品は、人間万能主義を揶揄し、人間を宇宙や自然と並列にとらえるアルプの思想を反映したものでしょう。


ジャン・アルプ(ハンス・アルプ) 《臍の上の二つの思想》 1932年 ブロンズ 10.0 x 22.0 x 22.0㎝
© BILD-KUNST, Bonn & APG-Japan / JAA, Tokyo, 2007

パリのダダイスムの中心的人物であった詩人アンドレ・ブルトンやポール・エリュアールは、程なくして限界を感じ、ダダと完全に決別します。かわりに彼らは、睡眠中の口述実験や自動記述といった心理学実験のような方法によって、無意識の世界に深く関わる芸術表現を展開し、近代の合理主義に反発するシュルレアリスム(超現実主義)運動をはじめました。「フロッタージュ」や「デカルコマニー」など様々な技法を駆使して形而上的世界を表現したマックス・エルンスト(1891-1976)は、シュルレアリスムを代表する画家のひとりです。エリュアールとその妻ガラによって才能を見出されたエルンストは、エリュアール邸に居候をしていた時期があり、滞在中に各部屋の壁や扉に幻想的な絵画を描き残しました。しかし、エリュアール家の転居とともに建物が人手に渡ると、扉は外され、壁も塗り重ねられ、いつしか室内に描かれたエルンストの絵は人々の記憶から忘れ去られてしまいます。年月を経て1967年、エリュアールの娘セシルの記憶によって、壁紙の下や倉庫からエルンストの絵がふたたび発見されました。その中の1点である《入る、出る》は、もともとダイニングルームの扉に描かれた作品であり、エルンストと愛人関係にあったガラがモデルであったと考えられています。


マックス・エルンスト 《入る、出る》 1923年 油彩、板 205.0 x 80.0cm
© ADAGP, Paris & SPDA, Tokyo, 2007

関連収蔵作品

  • ヴァシリー・カンディンスキー 《無題》 1923年
  • ナウム・ガボ 《線的構成No.1(ヴァリエーション)》 1942年
  • ルネ・マグリット 《冒険の衣服》 1926年
  • ジョアン・ミロ 《コンポジション》 1924年
  • マン・レイ 《赤いアイロン》 1966年

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